僕(@ka_zz)が神楽坂の街にやって来たのは2015年の秋に訪れて以来になる。
道端で売っていた焼き芋を友人たちと食べながらフラフラと商店街をねり歩き、赤城神社を参拝した時の写真が残っているのを懐かしく眺めていると、香ばしい芋の香りと共に賑わう街の光景がリアルに蘇ってきた。チェーン店に混じって洒落たお店が並ぶ表通りから、マーケティング臭がない小粋な店が点在する裏通りのコントラストを実に面白く感じたものだ。
神楽坂=赤城神社というのが僕のイメージ。
パンデミック前に山梨の田舎へ帰った仲の良い友人が4年ほど住んでいる間、神楽坂の街がどれほど楽しいかを時々聞かされていた。お気に入りのカフェの話、そこでイギリス人男性に声をかけられ(気に入られたらしい)友達になった話。ところがその友人からまったく聞いてなかったことがあって、地下鉄を降りて地上に出た僕は驚くことになった。
赤城神社の拝殿がハイカラなデザインに変貌していたことは、6年という時間の経過を実感するのに充分な変化である。ひとまずご無沙汰していた神社の神様に挨拶をさせていただき、こうやってまた神楽坂という街にご縁を結んでくれたことに感謝をしたわけだ。すぐ脇にあるLAWSONは健在で少しだけホッとしながらミネラルウォーターを買いリュックに入れると坂をくだって商店街へ向かった。
月日は流れても変わったものもあれば変わらないものもある。
平成から令和になった現在も、どこか懐かしくそれでいて新鮮味がある商店街の雰囲気は変わっていなかった。やたらとコンビニだらけになった印象はあるが、それはもう表通りならではの日本全国あちこちで見る風景だ。
そう、どこか懐かしい感じがするのはどうしてだろう?
表通りから裏通りに入ってみるとその懐かしさはさらに増していく。
「ああ、なるほど」と僕は気づいた。神楽坂の懐かしさは人が暮らす営みのエネルギーというか活気のようなものがちゃんとまだ存在している。同じ首都圏でも商店街を歩くとすぐに分かることだが、閉店してしまっているお店、シャッターがしまったままのテナントが沢山あって、つい先日原宿の竹下通りを歩くと驚くほどの空き物件の数々。ああ、もう東京という街は終わっていく気配をひしひしと感じた次第で、それは経済至上主義の終焉の表れであると思う。
ところが、神楽坂の商店街は空き物件が少ない。見た感じパンデミック前とほとんど変わりがないのではないか。それは表通りも裏通りも同様で、生き生きとしたエネルギーを感じることができる。
個人的には先に書いた通りマーケティングされてしまった表通りに並ぶ店には用事はない。右を見ても左を見ても広告だらけ、看板だらけ。当然ながらスマホもパソコンも新聞も雑誌も広告の海で、僕から見れば戦争のニュースさえも広告にしか見えない。一見するとオシャレ風なお店も広告戦略に則った計算の世界。ところが裏通りには(神楽坂以外の東京の裏通りも然り)広告とかセオリーとか一般常識などまるで眼中に無いかのような面白いお店が多くて嬉しくなる。
リアルで嘘がない、少しだけ不器用な世界が神楽坂の裏通りなのだ。
そう、これからの時代。米ドルの没落とグローバル経済の行き詰まりが見えている現在、僕たちが求めているのはリアルと本音の泥臭い面白さ。インスタグラムではすでに「映え」が飽きられてしまい、逆に「非映え」な写真や動画を求められている。それは僕たちの暮らし、人間の営みの体温がちゃんと伝わるようなコンテンツ。
そう考えた時に、神楽坂には土地にしっかりと根を張って生きている人々がいる。
それこそがこの街の魅力なんだと6年ぶりの神楽坂散策で実感した僕は、埼玉の自宅へ帰るためにJR飯田橋駅へ向かう。夕暮れの飯田橋へ近づくごとに広告の海、もしくはジャングルへ潜っていく感覚。
次回は、少し遠回りでもいいから神楽坂駅から地下鉄で帰るとしようか。
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